東京都文京区
音羽通りの東側の路地裏に、一部に木製ベランダを架けた長屋がある。高層マンションが立ち並ぶ表通りとはまるで別の街のような雰囲気だ。文京区音羽2-3 2019.9.28撮影
護国寺西交差点の際に旧陸軍省境界標石が遺っている。このビルの裏手は音羽陸軍埋葬地であった場所で、第二次大戦後整備され護国寺によって管理されている。文京区大塚5-40 2019.4.14撮影
春日通り・真砂坂上交差点の際にあった出桁造りの二軒長屋と看板建築の商店。2014年~15年の間に解体され現存せず。現ブリッサ本郷真砂。看板建築の方は大正13年(1924年)築の医療機器を扱う商店。文京区本郷4-7 2013.12.15撮影
旧戸崎町町域は戦火を免れた建築が多いが、その中でこちらの歯科医院は大正1~2年(1912~13年)築とされるもの。残念ながら2018年末に解体され現存せず。北側をスタッコ仕上げ、東側を南京下見板張りとした洋館医院建築。文京区小石川1-27 2017.5.4撮影
福山坂下にある古い建物が残る一角。文京区白山1-2 2019.5.3撮影
樋口一葉ゆかりの旧伊勢屋質店の斜向いにある旧米店(左側)を含む出桁造りの二軒長屋。昭和10年(1935年)築。文京区本郷4-29 2019.5.3撮影
音羽通り沿いに唯一残る出桁造りの店舗併用住宅。居酒屋とパンのお店として現役。大正13(1924)年築。文京区音羽1-20 2019.4.14撮影
区立千駄木小学校の向かいにある文房具店。既に閉業されているのだろうか、テントも傷んだまま放置してある。昔は学校の購買代わりのこのような店が多くみられた。文京区千駄木3-17 2019.2.18撮影
長い間仕舞屋であったであろう看板建築のベーカリー。2018年に解体され現存せず。文京区本駒込3-17 2016.8.10撮影
再開発の進む春日・小石川地区でこの一角だけはどういうわけか古い建築が残っている。銅板張りの典型的看板建築。文京区小石川1-9 2017.11.16撮影
文京区は印刷・製本関連の事業所の多いエリアだが、戦災を免れた旧丸山福山町にあるこの看板建築は数年前まで現役の製本工場だった。文京区白山1-10 2018.6.3撮影
清戸道(現目白通り)沿いに建つ大正12年(1923年)築の出桁造りの商家。西側(写真右)の路地を入ると有名な富士見坂・日無坂である。文京区目白台1-15 2017.12.4撮影
新壱岐坂の北側に寄り添うように残っていた出桁造りの理容店と銅板貼り看板建築。理容店の方はしばらくして解体された。2016.8.13撮影 文京区本郷1-25
根津の不忍通り東側、藍染大通り沿いにある店舗併用住宅。銅板張り看板建築であるが、文京区歴史的建造物(近代)悉皆調査報告書(1999)によれば明治8年築とされる。文京区根津2-31 2017.10.5撮影
春日通りと坂下通りに挟まれた崖の途中にある下見板張りの住宅。文京区大塚5-16 2017.9.10撮影 門柱にあった表札から戦前の住宅と思われる。
千川通りの裏手にはわずかながら古い木造建築が残っているのだが、この一角も開発対象となり取り壊される予定。手前の肉店はテイクアウトの揚げ物が評判だったようだ。文京区小石川3-26 2017.5.28撮影
文京区根津2-13 現存せず。不忍通りと言問通りが交わる根津一丁目交差点の裏手にあった出桁造りの店舗併用住宅。現在はレジデンスノーブル文京根津というマンションになっている。2014.9.18撮影
1937年築 文京区本郷5-30 2016.4.23撮影
巣鴨駅近く、白山通りの裏道にある下見板張の住宅。文京区千石4-29 2016.10.2撮影
文京区小石川5-36 2016.9.11撮影 すでに閉業のようだった。2008年にはテレビ番組で紹介されていたようだ。
文京区音羽2-8 1935年頃の建築。2016.9.11撮影
文京区目白台2-12 不忍通り沿いの看板建築。2015.5.5撮影。
文京区後楽2-7 現存せず。現在は住友不動産飯田橋ファーストタワーが建っている。並びの看板建築の店舗群とともに街区全体の再開発によって消滅した。2007.3.5撮影。
文京区本郷2-24 文京区の報告書によると車庫として使われているようだ。大横丁通りで唯一残った銅板貼り看板建築。2016.8.13撮影。
出桁造、下見板張りの店舗併用住宅。文京区根津1-23。2017.2.6撮影。この路地は古い建造物がまだ残っている。