東京都港区
桜田通り沿いにあった古美術店。隣のATMコーナーと共に解体されて現存せず。港区虎ノ門3-17 2017.2.12撮影
白金北里通り沿いは戦災の被害を免れ、大正から昭和初期のたてものが現存している地域であるが、その中で北側に看板建築の二軒長屋が二棟並んでいるうちのひとつ。モルタル仕上げのパラペットには夕顔と巻物と思われる装飾が施されている。港区白金5-14 2019…
戦災で三井家の邸宅は焼失してしまったが、門構えは遺っている。スクラッチタイルの裏門の方が個人的には好きだ。港区三田3-10 2019.5.12撮影
虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業の施行区域内にある看板建築。同事業に伴い、すでに解体、現存せず。背後の超高層ビルはアークヒルズ仙石山森タワー。この街区も数年もすれば消失してしまうだろう。港区虎ノ門5-9 2017.5.5撮影。
元は東京電力の前身である東京電燈の建物として1929年(昭和4年)に竣工。それを日本電気協会が電気計器検定施設として借用。その後同協会に譲渡され、戦後1965年(昭和40年)に現組織となる。都内湾岸部では貴重な昭和初期のモダニズム建築であり、特に玄関…
高輪地区を南北に走る尾根道の二本榎通りにある看板建築長屋。元々は共に銅板貼りであったかもしれない。左手のカーテンの閉まったモルタル塗りの区画の方は2015年頃まで栗栖ランドリーという店舗であった。港区高輪2-7 2018.11.10撮影
都道413号線、青山橋西詰の北側崖下にある廃アパート。私がこの近所に住んでいたのが2000年までなので、かれこれ20年近くは放置されている印象だ。港区南青山4-17 2018.5.7撮影
港区西新橋3-18 現存せず。関東大震災の復興事業として建てられた、いわゆる復興小学校。昭和3(1928)年築、2013年解体。跡地には慈恵大学の新病院が建築工事中。2012.9.8撮影
写真事務所として使われているこの住宅は、この地域では珍しい門構えのある屋敷形式。元々は鳶の親方の住宅で鳶道具を収納する地下室があるという。 昭和12年(1937年)築。港区三田1-10 2018.3.14撮影
外堀通りからワンブロック南側の地域は今でも古い雑居ビルや小規模な商店が残っているが、その中でも異彩を放つ建物。下記の記事によれば1990年当時で建て替えの告知(建築計画のお知らせ)が出ていたようだ。 防護ネットで見辛いが、放物線が細かくデザイン…
以前取り上げた栃木屋の北側にも古い木造家屋が散在しているがその一つ。外壁がトタンになっているが以前は下見板張りと思われる。 琺瑯製の旧町名表示が遺されている。港区三田5-14 2017.7.17撮影
魚らん坂下交差点から東北に伸びる路地を入ると、古い家屋が残る住宅密集地となる。その中でも銅版を身に纏ったこの仕舞屋は南西側が公園に接していることもあってなかなかに目立つ存在である。港区三田5-16 2017.7.17撮影
港区麻布台1-1 背後に六本木ファーストプラザ。我善坊地区は都市再生特別地区(虎ノ門・麻布台地区)にあたり、既に森ビルの管理下におかれている土地も多い。2017.3.5撮影
この周辺では貴重になった木造小規模医院建築の遺構。港区新橋6-13 2017.3.5撮影 【2018.4.5追記】この後間もなくして解体。現存せず。
港区虎ノ門3-7 1930年築。桜田通りの裏手にある看板建築。鮮魚店だった時期もあったようだ。3階部分の銅板装飾が賑やかである。都市再生特別地区(虎ノ門四丁目地区)の将来再開発地区に該当しており、周辺の建物も閉鎖が相次いでいることから存続が危ぶまれ…
港区虎ノ門3-16 2016.6.15撮影 2017.2.12撮影 向かって左側の木が剪定され、後ろの窓枠が古い形を残しているのが解る。
虎ノ門ヒルズの斜向いにある看板建築。港区虎ノ門3-8 2017.2.12撮影
清水畳店 港区白金6-2 1935年ごろ当初は油屋として建てられたらしい。各コーナーのスクラッチタイルが印象的。2016.7.28撮影。
小山湯 港区三田1-11 2016.7.7撮影。1921年築、2007年廃業。