東京都中野区
東中野駅南側の住宅地にあった陶芸家のアトリエ兼教室。「中野を語る建物たち 中野区大正期・昭和前期建造物調査報告書」(2011年)によると大正年代の建築。フランス瓦を用いた平屋の洋風住宅だがおそらく2018年中に解体された。中野区東中野1-26 2017.8.23…
新井薬師から早稲田通りに抜ける柳通り沿いに建つ看板建築。以前は写真店で(建築当初は不明)、戦後二軒の店舗併用住宅になったようだ。大正15年(1926年)築とされる。右側は少し前まで精肉卸商で白いタイルが貼られている。レリーフと、一部欠損はあるも…
中野駅北口から昭和新道を経て早稲田通りに出ると右手にあるクリーニング店。この界隈の早稲田通り沿いでは数を減らしている看板建築のひとつ。色違いのモルタルでパラペット部分にアクセントをつけているのがおもしろい。中野区中野5-49 2019.6.2撮影
現存せず。外壁は押し縁下見板張のシンプルな看板建築。すでに長い間仕舞屋になっていた様子で、2016年に解体され、PAO東中野というマンションが建てられた。中野区東中野5-17 2015.11.8撮影
中野・もみじ山通り沿いにある看板屋さんの看板建築。段差のつけられた幅の広いパラペットが特徴的。中野区中央3-42 2018.1.21撮影
江古田氷川神社の門前商店街にある出桁造りの商店。店舗に併設されている公衆電話も今では珍しい存在。中野区江古田2-12 2017.10.8撮影
宝仙寺の西側裏手、ちょうど桃園川(現在は暗渠化)に下る緩やかな坂道沿いにある平屋群。 旧町名を示す琺瑯板が遺されていた。中野区中央2-45 2017.9.4撮影
早稲田通りから北に入った路地にある二軒長屋。建具等は建築当時のものが遺されている。中野区大和町1-60 2017.8.21撮影 住居表示以前の地番表示を示す琺瑯板があった。書式から戦前のものか。(なお大和町成立は1934年)
左側のシャッターのある側は2010年のストリート・ビューでは阿部電機商会として営業していた。グリーンのテントの側は喫茶かスナックとして営業されていた雰囲気がある。中野区上高田1-38 2017.7.9撮影
十貫坂上交差点から西に折れるとすぐに現れる仕舞屋。2009年のストリート・ビューではまだテントも張られていたのだが。中野区本町6-2 2017.7.24撮影
青梅街道の南側に辛うじて残る出桁造りの店舗併用住宅。スレート葺きの看板が銅板貼りの戸袋部分を隠してしまっているのが残念。中野区本町6-16 2017.7.24撮影
中野区東中野1-45 東中野駅東口から南に伸びる商店街の一角にある仕舞屋となった書店。10数年前は細々と営業していた記憶があるのだが。2017.6.4撮影
新青梅街道沿いにある平屋住宅。1928年頃建てられたもので道路拡張に伴い現在地に曳家された。中野区沼袋4-38 2017.6.11撮影。
中野区沼袋4-36 現存せず。2017.3.12撮影、その直後に解体されてしまった模様。1935年頃の建築で、急勾配の屋根が印象的。三角屋根の洋館として親しまれていたという。
都立家政駅北口から商店街に入ってすぐの場所にあった看板建築の仕舞屋。現存せず。2015年暮れ頃解体。二階部分の付け柱とその上部のコーニスがこの建築の見どころである。現在は都立家政駅前インターナショナルレジデンスというマンションになっている。中…
新井薬師前駅近くの仕舞屋となってしまった薬店。二階は歯科だったようだ。中野区松が丘1-15 2017.5.21撮影
中野駅北口から新井薬師方面は戦災での焼失が少なかった地域であり、戦前の建築が今でも散在している。平屋ながら規模の大きなこの住宅は1921年築。中野区上高田1-43 2017.3.19撮影
中野区新井1-36 現存せず。2016.1.3撮影薬師あいロード商店街にあった茶葉販売店で戦前1937年の創業ということだった。この時既に閉業しており、間もなく解体された。 軒先のたばこ販売免許の表示は旧町名表示が残っていた。
新井薬師前駅近くの三連長屋。戸袋の格子模様がいい。中野区上高田4-16。 2016.8.18撮影