東京ノスタルジア

看板建築、出桁造り、下見板張り、レトロビル、土木遺産などを記録するブログ。

2018-01-01から1年間の記事一覧

岩瀬博美商店 中央区銀座

古くは木挽町と言われた銀座の東側のエリアは、戦災を免れた建築が点在している。スクラッチタイルを身に纏ったこの建物は昭和3年(1928年)中村庸二設計のもの。中村庸二については孫の耕三氏によるこちらが詳しい。中央区銀座1-28 2017.6.12撮影

ヨシケイハウスほか 杉並区高円寺南

高円寺駅南口を出て、桃園川緑道を越えルック商店街に入ると戦災焼失していないエリアになり、現在でも希少ながら古い建築が残っている。その中でもこちらの銅板貼り看板建築は装飾も凝っていて見応えがある。右側のヨシケイハウスは以前東洋シューズという…

光陽楼ほか 台東区根岸

台東区・金杉通り沿いは戦災を免れた地域だったので、近年まで出桁造りや看板建築の商家が残存していた。マンション建設などでその数も減少しており、この二軒長屋は二棟残る銅板張り看板建築のうちの一つ。台東区根岸3-1 2018.2.28撮影

鳳山酒店 文京区目白台

清戸道(現目白通り)沿いに建つ大正12年(1923年)築の出桁造りの商家。西側(写真右)の路地を入ると有名な富士見坂・日無坂である。文京区目白台1-15 2017.12.4撮影

大塚 鳥忠 豊島区北大塚

大塚駅から近くビル化が進むこの地域であるが、看板建築の大衆酒場が残っている。創業40余年ということなので、建築当時は別の業態だったかもしれない。豊島区北大塚2-13-5 2017.9.10撮影

【遠征編】森田金物店(旧千代田屋) 静岡県三島市

昭和5年(1930年)の北伊豆地震で大きな被害を受けた三島町(現三島市)。復興の中で、三嶋大社を中心とした地区に看板建築が多く建てられた。パラペットが半円状にカットされたデザインが特徴的なこの店舗は、当初洋品店であったという。昭和7年(1932年)…

魚玉 渋谷区渋谷

渋谷・金王八幡宮そばにある元鮮魚店。今では名前を変えず持ち帰り弁当店になっている。数年前まで鮮魚 魚玉と書かれた白看板が掲げられていた。渋谷区では希少な銅板貼り看板建築である。渋谷区渋谷3-2 2018.5.7撮影

木下晴書堂 北区中十条

旧岩槻街道沿いの角地にあった仕舞屋。現存せず。これを撮影後しばらくして解体された。北区中十条3-3 2016.11.28撮影営業していた当時に書かれたブログはこちら。

中央食品(株)水産部 中央区築地

銅板を身に纏う築地の店舗併用住宅。中央区築地7-12 2018.4.29撮影

金子商店 豊島区東池袋

並びの生駒軒同様、東池袋五丁目地区第一種市街地再開発事業に伴い、解体され現存せず。豊島区東池袋5-19 2015.5.6撮影

目白日立独身寮(旧学習院昭和寮) 新宿区下落合

目白日立クラブの裏手にあり、2018年に入ってから解体の始まった独身寮の在りし日の姿。夕日に染まる白壁がなんとも良かった。昭和3年(1928年)築、宮内省設計。2017.1.12撮影 新宿区下落合2-13

翠光社 港区三田

写真事務所として使われているこの住宅は、この地域では珍しい門構えのある屋敷形式。元々は鳶の親方の住宅で鳶道具を収納する地下室があるという。 昭和12年(1937年)築。港区三田1-10 2018.3.14撮影

道玄坂の看板建築 渋谷区道玄坂

副都心渋谷で、繁華街でもある道玄坂の中程に2014年まで残っていた有名な看板建築。二軒長屋が三棟並ぶ形で、各々の意匠を変えている。この時すでに防護ネットに覆われ、解体も間近いのかな、と思っていたら東日本大震災後まで持ちこたえた。もっと記録に残…

K邸 千代田区富士見

飯田橋駅からほど近い坂上にあった住宅。門柱のアール・デコ風のデザインが目を引く。その門柱の表札には麹町区の記載がなされており、住宅自体も戦前のものである可能性が高い。富士見二丁目北部地区の再開発(飯田橋プラーノ)からは外れたが2010年頃解体…

理容ヒカリ、他 文京区本郷

新壱岐坂の北側に寄り添うように残っていた出桁造りの理容店と銅板貼り看板建築。理容店の方はしばらくして解体された。2016.8.13撮影 文京区本郷1-25

東洋ランドリー月島店 中央区月島

清澄通り沿いにある銅板貼り看板建築。近年では居酒屋や寿司小売店がテナントだった。現在はクリーニング店。江東区月島3-14 2018.2.4撮影

松井畳店 品川区東大井

大井町駅東側を南北に走る尾根道である見晴らし通り。この通りには戦前築と思われる商家が何軒か残っているが、そのうちの一つ。品川区東大井3-11 2017.10.30撮影